木
03
2月
2011
小さい頃住んでいた家の近くに、大きな噴水公園があって、
ある日 の夜に姉と一緒にその噴水公園に行ったんだ。
その時、すごくキレイな満月で、あたしは始めて月の中にうさぎが いるのを見たの☆
今でもその日の事はよく覚えていて、月の中にうさぎがいるって話は聞いたことがあったんだけど、どこか信じてなくて。。
でもその日の夜、本当に月の中にうさぎが見えて、感動して家に帰ったのを覚えてる。
あれからあたしは月を見るのが大好きになって、今でも毎日月を眺めて、満月になると月の中のうさぎを見て幸せな気分になってるんだ。
そもそも、どうして月の中にうさぎがいるんだろうか?と思って、調べてみたら、こんな伝説があるんだって。
『昔、あるところにうさぎと狐と猿が暮らしていました。ある日、3匹は疲れ果てた老人に出会います。老人はお腹が空いて動けないので、何か食べる物を持ってきて欲しいと3匹に言いました。3匹は老人のために食べ物を集めに出かけました。
やがて、猿は木に登っていろいろな果実を採ってきて老人に食べさせました。狐はたくさんの魚や貝を持ってきて老人に与えました。しかしうさぎは一生懸命頑張っても、何も持ってくることができません。
そこで悩んだうさぎは覚悟を決め、火を焚いて
「私には食べ物をとる力がありません。 ですから、どうぞ私を食べ てください」
といって火の中にとびこみ、自分の身を老人に捧げたのです。
実は、その老人は帝釈天(タイシャクテン)という神様で、3匹の行いを試そうとしたのです。もとの姿に戻った帝釈天は、そ んなうさぎを哀れみ、うさぎを月に昇らせ、月の中にうさぎを甦らせて、皆の手本にしたのです。』
わたしはその月のうさぎを「素敵だな」って思った。
だけど、その話を他の人にしたら、「寂しい話」だねって言われたの。
また違う人は「なんだか怖い」ねって。
そりゃそうだよね。いろんな人がいればいろんな考え方の人がいるわけで、一人一人が感じ取るものってそれぞれだと思う。
でも、やっぱりわたしの中には小さい頃ワクワクした感動があって月のうさぎは「素敵なうさぎ」なんだ。
しかもね、海外では月の模様を「うさぎ」とは見てないんだって。
「大きなハサミのカニ」だとか、
「本を読む老人」だとか、
「女性の横顔」だとか、
その地方によって色んな見方があるみたい。
っていうことは「悲しいカニ」とか「かっこいいカニ」とか「うれしそうに本を読む老人」とか「怒ってる女性の横顔」とか世界には人の数だけ、月の模様の捉え方があってそれってすごいことだなって思った。
だって、それでもわたしにとっては「素敵なうさぎ」なんだもん。
どこの国にも、月を見て何も感じない人いれば、
「あれはただの凹凸だよ」って言い方をする人もいる。
確かに「事実」は月の凹凸の影なのかもしれない。
だけどわたしの「真実」はうさぎなんだ。
人の個性ってとても面白いと思う。
1人じゃ考えつかなかった事も、みんながいればどんどん可能性が広がっていくよね。
うまく言えないけど、「月」っていうものひとつをどんなイメージでとらえるかだけでも、世界は変わる気がするの。
ものを作ったり表現したりする人って、
「月の模様についての自分の真実」を提示する人なんじゃないかなって思う。
二千年以上前にインドで、「月の模様はうさぎだよ」と言った人がいたように、世の中がこうならいいのにって思いを込めて、自分の真実を表現するのがわたしの仕事だと思ってる。
そしたら、みんなが自分の「真実」について考えるし、大切なのはゆずれない「絶対の事実」じゃなくて、共存できる「一人一人の真実」なんだって感じれる気がするんだ。
自分の「真実」をもっと表現出来るようなアーティストになってい きたいと思う。
ピストルバルブとして、みんなにとみぃの「うさぎ」を発信していけたらなって思います♪